「大鏡」
『ウィキペディア(Wikipedia)』にも”書名の「大鏡」とは、「歴史を明らかに映し出す優れた鏡」の意味である。”と出ている。かな文字で書かれた歴史物語である。平安の末期にもなるとかな文字文学も多くなり、女性だけでなく男性も手がけるようになってくる。大鏡の作者は不詳となっている。
第55代文徳天皇から第68代後一条天皇の時まで、年代で言えば西暦850年ごろから1225年ごろまでのことが編年体(年代を追って)で記述されている。面白いのは物語の展開方法である。
歴代の天皇を中心とした物語を《天》に配してまず述べ、それが済むとその時々の摂関家の実力者(左大臣藤原冬嗣、太政大臣良房、右大臣良相、基経、時平、仲平、・・・・兼家、道隆、道兼、道長)を《地》に配してこれも年代順に出て物語られていく。そして最後に大鏡でもっとも強調したい人物(藤原道長)を《人》について物語られていくという《天・地・人》のストーリーである。
話者はほとんど大宅世継という翁(190歳)で、雨林院の菩提講に集まった人を前に菩提講が始まる前の時間つぶしに物語をしましょうという形態をとっている。受け答えをする相棒として夏山繁樹(180歳)という翁とか武士も出てくる。藤原道兼が花山天皇を出家させる場面とか道長がこの世をほしいままにしていくところは圧巻であった。何しろ自分の娘を三代の天皇の后にして権力をほしいままにしていくわけであるから。
当時の政治形態の権力者のトップは言うまでもなく天皇であり、決定権に介入できるのは上皇や母后(皇后)は当然のことながら、身内ともいえる摂関達である。天皇や東宮(次期天皇)が決定するのは器量や人柄などの人物本位よりも摂関などの身内の思惑が大きくものを言う。それが大きく出てくるのが藤原道長の時代である。一条天皇の子供には長男として敦康親王、次男が敦成親王、三男が敦良親王ですが、長男の敦康親王は庇護者がいなくて東宮にもなれず世を儚んでいく。次男の敦成親王は道長の娘彰子の子供で天皇となる、後一条天皇である。三男の敦良親王も娘彰子の子供で天皇となる、後朱雀天皇がそれである。天皇と言えども権力者にはずいぶんと気を使い、思うようにできなかったことであろう。後一条天皇の時の東宮に敦明親王が一旦は成ったが、道長の嫌がらせに会い、さっさと東宮職を辞してしまう。それでも小一条院という役職(上皇のようなもの)を得て、割り切って過ごしていく。
大鏡のあとで栄花物語を読んだが大鏡のほうが時の権力者に対して厳しい見方をしているのに対して、栄花物語はスマートに時代を追っているようなスタイルである。栄花物語は源氏物語を意識しているのか道長がなくなるまで30帖とその後の道隆などの時代を描いた10帖に分かれている。(源氏物語は光源氏がなくなったと思われる”雲隠”までと、その後の薫とか匂宮の時代、特に宇治10帖は有名)。栄花物語については後に譲る。
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